第10回 吹奏楽部「24時間テレビ」武道館で演奏

「24 時間テレビ」は、1978 年(昭和53 年)に日本テレビの開局25 周年を記念し、特別番組として放送されました。「24 時間テレビ」が発信するメッセージが日本の未来につながる契機となることを願い、また、テレビの持つメディアとしての特性を最大限に活用し、国内外の福祉の実情や支援の必要性を伝えるという企画意図のもと、全国の視聴者の皆様に支えられ、「24 時間テレビ」は今年35 回目の放送を迎えます。

武道館の屋根をこえて

渡邊里菜(3年 矢本一中出身)
 3月11日。あの日から私たちの生活は変わってしまった。当たり前のことがそうではなかったと身をもって痛感することとなった東日本大震災。それから1年が経ち、吹奏楽部の活動も以前のような状態に近づきつつあった頃、私たちのもとに舞い込んだのが「24時間テレビ」という大きな企画。日本武道館からの生放送で生演奏。話を聞いたとき、正直、部員誰もがそのスケールの大きさを実感できてはいなかったと思う。
企画が決定し、少ししてからのとある日。突然扉が開いて入ってきた人は、日本全国で知らない人はいない、嵐の松本潤さんだった。その興奮冷めやらぬまま、松本さんと話をすることになった3年生。
彼は、震災当時の様子を話す私たちの目をまっすぐに見て、真剣に耳を傾けてくれた。そして「指揮をやりませんか?」そう持ちかけた時、期待と不安が混ざり合った空間の中で彼は頷いてくれた。こうして、好文館高校吹奏楽部と松本潤の夏が始まったのだった。
多忙なスケジュールの中、松本さんは4回も遠く離れた石巻まで足を運んでくれた。しかし、松本さんはもちろん指揮は初めて。その指揮指導にあたったのが世界的指揮者、佐渡裕さんだった。実は佐渡さんは、歌手さだまさしさんと共に被災地への楽器支援を行うプロジェクト「さどまさし」で、好文館吹奏楽部にハープとファゴットを寄付してくれていた。私たちが音楽を続けるために力を貸してくださった方と、こうした形でまた繋がっている。なんだかとても深く、素敵な縁を感じた。
練習をしていく上で、生徒も先生もスタッフも、そして松本さん自身も気になっていたのが、松本さんと部員との距離感だった。一緒に一つのステージを作っていくのだから「嵐の松本潤」を意識せず一人の仲間として接したい。部員はもちろん、何より松本さんがそう思ってくれていた。「松本さん、という呼び方はやめよう」ということで、「まっつん」というあだ名で呼ぶことにし、さらにもっと距離感を縮めるためにバーベキューやキャンプファイヤー、花火をして、短い時間の中で確実に絆を深めていった。
松本さんは練習でも妥協することはなかった。生徒が作った案をもっと良いものにしようと、お互いに意見を出し合って、曲や振り付けを完成させていった。その視線は真剣そのもの、まさにプロ。真夏の気温の中、何度もタクトを振る、吹き続ける。最後の練習日の終わりに、私たちは円陣を組んだ。「武道館の屋根をこえて、日本中、世界中に『ありがとう』の気持ちを届けよう。」本番当日まで、あと数週間だった。
8月25日、前日に石巻を出た私たちはいよいよ日本武道館の前に立った。リハーサルのため生放送が始まる前に会場入りした私たちの目に飛び込んできたのは、募金に並ぶ長蛇の列。会場内は、圧倒される巨大なセットにたくさんの機材。準備や位置、カメラ、音響の確認などもあわせて、リハーサルはあっという間に終わった。そして、24時間テレビの生放送がスタートした頃、私たちは大きな指摘を受けていた。「楽しそうに見えない」大事なことを忘れていたと思った。好文館高校吹奏楽部が届けたいのは、上手な演奏ではない。音楽を目一杯楽しみ、今を生きている姿、「ありがとう」の思いなのだ。
本番は翌日。部員43名がすべきことはひとつだった。
都内での最終リハーサルを終え、再び武道館にやってきた私たちは、近づいてくる出番に胸を高鳴らせていた。ステージ袖からは、リハーサルではいなかった、会場を埋め尽くす観客が見える。直前の出演者の出番が終わり、松本さんのアナウンスを合図に、私たちは佐渡さんや全国の方々にいただいた楽器を手にステージへ上がった。テレビでVTRが流れている間、並みではない緊張感と戦う私たちのもとに松本さんがやってきた。彼はVTR中、部員一人一人に声をかけ、握手をして回った。
「楽しもう!」そう言って笑顔を見せる松本さんに、私たちも笑顔になれた。大勢の観客、日本全国の視聴者、家族、友人、ステージには佐渡さんの姿、そして指揮台の上には、この夏を一緒に駆けぬけてきたまっつんがいる。届けたい思いを胸いっぱいに抱き、私たちの最初で最後のステージが始まった。
本番に関しては、とても言葉では言い表せない。涙はなかなか止まってくれなかった。惜しみない拍手は私たちの心に響いた。言葉以上のものを届けることが出来たという実感が確かにあった。今ここに記そうとしても、どう言っていいのか分からない。大きな感動が私たちの胸に満ちていた。
テレビには一切映ることはなかったが、あのステージを完成させるために携わってくれた人たちが大勢いた。ディレクターをはじめとするスタッフの皆さんは、遠い石巻まで何度も足を運んでくださり、様々な撮影や打ち合わせを繰り返し、よりよいものを作るため、そして私たちが最高のパフォーマンスを出来るように支えてくれた。顧問の秋葉先生は、音楽的な面で私たちが納得いく演奏が出来るようにと、時に厳しく指導してくれた。だが、その厳しさの裏には、常に部員を思う気持ちがあったように思う。他にも、撮影に協力いただいた学校関係者の方々、応援してくれた家族や友人、私たちの演奏を聴いてくださった視聴者の方々、私たちが音楽を続けるために支援してくださった方々。どこかがひとつでも欠けていたら、あのステージが実現することはなかった。そして、松本さん。松本さんは、私たち一人一人の思いを受け止め、背負って、指揮台に立ってくれた。彼の力強い指揮と笑顔があの大舞台で
私たちの思いを引き出してくれた。
私たちはこの夏、この言葉が持つ力を誰よりも知ることが出来たように思う。だから、やはりこの言葉を最後にしようと思う。
ありがとう。

第11回 JRC花植え活動でJRから感謝状

誰かのために必死になれるような大人になりたい

大内優奈(3年 石巻市立北上中学校出身)

538私たち青少年赤十字は、日々様々なボランティア活動をしてきました。
その活動として、JR駅前や校内の花植え、募金活動、ペットボトルのキャップ集め、青少年赤十字リーダーシップトレーニングセンターへの参加、国際交流、支援学校の文化祭準備の手伝いなどがあります。なかでも、ここ最近の青少年赤十字は、より活発に活動してきたと思います。
まず、私たちは今年度東日本旅客鉄道株式会社仙台支社長から、JR駅前の花植えに対して感謝状をいただきました。JR陸前山下駅前の花植えは、先輩方の代からずっと行ってきました。花植えは意外と重労働ですし、誰かのためになっているのか、直接は実感しづらいかもしれません。しかし、景観がぱっと明るくなるので、し終えた後の達成感は大きく、やはり花植えをして良かったなと毎回思います。そして、こうした感謝状をいただけたことは、私たちの活動が認められたようでとても嬉しかったです。
他にも校内での活動があります。
それらも同様に、誰かのためになっているか直接は実感しづらいかもしれませんが、絶対無駄なことではないと思います。ボランティア活動に対して周りの関心が薄く、意識のなさに戸惑いを感じることがあるかもしれません。しかし、自分ばかりではなく自分以外の物事に気を配る心を大切にして、今後も後輩たちにこのような活動を続けてほしいです。
NPO法人ひまわり夢企画の荒井勣さんをはじめ、多くの方々と一緒に様々な活動をさせていただきました。荒井さんは、昨年度の青少年赤十字リーダーシップトレーニングセンターで講師として招かれ、そこから発展して共に様々な活動をさせていただきました。たくさんの仮設住宅や学校、施設を回り、お茶碗プロジェクトやクリスマス会、福祉レクリエーションを兼ねた歌声喫茶、夢・笑顔プロジェクトなどをしてきました。そこで、たくさんの笑顔や涙、悩みに触れ、たくさんの話を聞いてきました。
弘前医療福祉大学の教授や学生と共に看護ボランティアをさせていただいたときに、人は誰かに話を聞いてもらえたり共感されたりすると、精神的ストレスや不安を少しでも和らげることが出来るんだと教えていただきました。このような活動を通して、今までに出会った方々のストレスや不安が少しでも和らぐことに繋がっていれば嬉しいです。
また、福島県高等学校青少年赤十字連絡協議会第44回県大会にも参加させていただきました。そこでは、福島県の高校生のなまの声を聞くことが出来ました。彼らは、自分たちに対する県外の人々の差別的扱いや偏見、健康被害について悩んでいました。こんな思いをして毎日を過ごしているのかと思うと、胸が痛みました。彼らの大切な故郷が、一日も早く以前のように健康的に安心して生活できるようになってほしいです。でも、そうなるまでには、まだまだたくさんの時間が必要となると思います。ですから、今後もっと福島県を応援する声が増え、助け合う関係を築き、確立していってほしいと思います。
さらに、神戸で「ありがとうの笑顔展」と「記念フォーラム」を開催することが出来たことは、私たちにとってとても意義のあるものになりました。同じ大震災を経験した神戸の方々の言葉の優しさ、前進しようとする強さに深く感銘を受けましたし、心から「ありがとう」を伝えていきたいと思いました。また、このような活動をするきっかけや手助けをしてくださった荒井さんにも感謝を伝えたいです。最後に、私たちはこの活動を通して、人として大切なものは何かを学ぶことが出来ました。誰かのために行動することは、とても意義のあることだと思います。
今後も、このようにボランティア活動を続けていきたいです。また、助け合いの精神を持ち続けられるような、誰かのために必死になれるような大人になりたいです。

第8回 全国高校総合文化祭とやま2012に参加

“良い写真”とはひとりひとりの感性によって異なるものだ

大坂瑞貴(3 年 女川一中出身)

第36回全国高等学校総合文化祭とやま2012
写真部門期間: 平成24年8月10日(水)~12日(日)
写真部門会場: 南砺市福野文化創造センター[ヘリオス]、五箇山他
各都道府県から選抜された約300点の作品が展示、高校生の新鮮な感性で撮影された作品がご覧いただけます。
写真を通して全国の高校生が交流できるよう企画 し、世界遺産「五箇山の合掌造り集落」などで撮影会を行います。

540 8月8日から富山県で“創造の舞台~美しき越の国”をテーマとして、第36回全国高等学校総合文化祭が開催されました。この大会は「文化部のインターハイ」ともいわれるように、全国の高校の文化部が部門ごとに一同に会する大きな大会です。私は8月10日からの写真部門に宮城県の代表のひとりとして参加しました。私が出展した作品は前年度の宮城県高等学校写真展で金賞を受賞した「命」という写真と、銀賞を受賞した「雪の船着き場」という写真です。特に「雪の船着き場」は、震災前に私の出身地である女川町の漁港を撮影したものでした。私が写真を始めた理由は、お祭りや学校行事、日常生活の思い出を記録に残したいと思ったからです。震災前までは、地元の風景やイベントを中心に撮影していましたが、もうその景色はありません。しかし、今回の大会にこの作品を出品したことで、多くの方々にふるさとの思い出の景色を見ていただくことが出来て大変嬉しく思います。
さて、一日目は南砺市福野体育館で部門開会式・講演会・交流会がありました。講演会では『頭で理解する写真心で感じる写真』という演題で、写真家のテラウチマサト氏の講演を聴きました。テラウチ氏は富山県出身で、これまでに6千人以上の俳優、モデル、タレントなどの著名人を撮影していて、海外からも高い評価を受けています。講演では、私たち高校生にも人気のある女優や外国の美しい風景を撮影した写真を、プロジェクターに映しながら作品について話してくださいました。テラウチ氏によると、写真とは世界と向き合うものであり、自分の世界観を表現するものなのだそうです。撮影機器のハイテク化で、誰でもきれいな写真を撮ることが出来るようになりました。そんな時代の中では、構図などの基礎的知識も必要ですが、自分の心が反応したものを撮る、ということが大切になってくるそうです。交流会では10人ずつに分かれて、各自準備してきた写真で作ったしおりを交換し合い、その後富山に関するクイズ大会がありました。私は7問正解したので、景品のホタルイカ煎餅をもらいました。
二日目は「高岡・新湊」「五箇山・井波」「八尾」の3コースに分かれて撮影会がありました。私は宮城県から来ている他の2人と共に「五箇山・井波」コースに行きました。五箇山は合掌造り集落があり、世界遺産にも登録されています。井波は木彫り工芸が有名で、通りの至る所に木彫り細工が展示してあります。瑞泉寺という由緒ある寺院もあります。どちらも情緒豊かな日本らしい雰囲気の観光地でした。
はじめはあいにくの雨天でしたが、途中から雨も上がり撮影を楽しむことが出来ました。最終日には、表彰式・講評会・前日の撮影会の報告会・閉会式がありました。
私はこの大会を通して、写真についてよりいっそう深く考えるようになりました。出品された300点を超える作品は大会期間中、南砺市福野文化創造センターに展示されており、やはりレベルの高い作品が多く、私は感嘆するばかりでした。また、これほどたくさんの高校生が文化的活動に勤しみ、すばらしい作品を作り上げているという事実も、自分の向上心に火を付ける良い刺激になりました。しかし一方で、この一連の活動の中で私は“良い写真”とは何なのか分からなくなってしまいました。おそらく、それに正しい定義はないのでしょう。ひとりひとりの感性によって異なるものなのだと思います。
高校での部活動はこの大会をもって引退しましたが、ぜひ写真を続けて感性を磨き、自分にとっての“良い写真”を撮りたいと思います。そして、この経験を後輩に伝え、宮城県の文化部の活動の発展に役立つことが出来れば嬉しいです。