第6回 国体ソフトボール少年女子5位入賞に貢献

ぎふ清流国体ソフトボール競技少年女子
期間: 10 月6 日(土)~8 日(月)
会場: 岐阜県揖斐川町(少年女子) 揖斐川健康広場ビッグランド
配信: ぎふ清流国体公式ウェブページ「東北3県(岩手・宮城・福島) 競技会映像配信動画一覧」で木村さんの雄姿を見ることができます。

東北の高校生の中で一番長くソフトボールができたことが本当にうれしい

木村祥子(3年 石巻市立石巻中学校出身)

県総体[平成24年6月開催] 2・3年生僅か3人に1年生を加えたチームはシード校を連続撃破し、見事ベスト8に進出
県総体[平成24年6月開催]
2・3年生僅か3人に1年生を加えたチームはシード校を連続撃破し、見事ベスト8に進出

国体に出場し、多くのことを学びました。まず、私が県の代表選手になれたのは、たくさんの人の支えがあったからです。昨年1年間は部員3人で過ごしました。正直、3人だけでの練習は、活気もなく辛いものでした。そんな中、たくさんのチームやOGの方が練習に協力してくれたおかげで、部活動を続けていくことができました。

代表に選ばれてからは、毎日が自分との戦いでした。全員が集まれる週末以外の練習は個人に任されていましたが、どの程度やればよいのかわかりませんでした。また、県総体が終わったら勉強に切り替えようと思っていたので、練習と勉強を両立することはとても難しかったです。さらに、週末だけの数少ない時間で、今までライバルだった人たちと打ち解けるのは、簡単なことではありませんでした。特に私が任されていたショートというポジションは、連携プレーにおいて重要な役割を持っています。しかし、初めは周りとうまく会話ができず、チームに迷惑をかけてしまったこともありました。この時、うわべだけの付き合いではチームとして成り立たないことを感じました。メンバー13人は5チームから集まりました。それぞれ考え方が違うので、すぐに息の合ったプレーはできませんでしたが、自分たちで何度も話し合い、それぞれの意見を取り入れながら一からチーム作りをしていきました。その結果、回数を重ねるごとにチームとして成り立つようになりました。国体の出場権をかけた東北大会では、どの試合も接戦で本当に緊張感がありました。特に決勝戦は鳥肌が立つほどしびれる試合でした。延長戦の末勝つことができて本当に嬉しかったです。優勝したことでチームの中もぐっと深まりました。ずっと目標にしていた国体は、全国で13チームしか出られない、とてもレベルの高い大会です。このような大会に出場するにあたって、全国レベルを肌で感じられる喜びと、全く相手にならなかったらどうしようという不安を感じていました。実際、私個人としては会場の雰囲気や相手に圧倒されて全く歯が立ちませんでした。しかし、とても楽しんでプレーすることができました。勝敗にかかわらず、高校生活最後のソフトボールだと思うと、ミスなど気にしていられないという気持ちになり、思い切ってプレーすることができました。結果は残念ながら負けてしまいましたが、悔いは残らない試合でした。もちろん、負けて悔しかったし、もっとチームの役に立ちたかったなと思いましたが、代表になってから国体までの約3ヶ月間で得たことは、勝敗よりも大きなものだったと思います。何よりも一番感じたのは、周りの方々の支えのおかげで自分がこのような経験ができたということです。ソフトボールの開催地だった岐阜県揖斐川町のみなさんは、私たち宮城県チームを歓迎してくれました。国体は民泊なので、5日間一般家庭にお世話になりました。食事については、半年も前から試食会を重ねたという栄養バランスを考慮した料理を提供してくれました。たったの5日間ではありましたが、揖斐川町のみなさんとは良い関係が築けたと思います。私はこの体験を機に、人との繋がりを大切にしていこうと、よりいっそう感じるようになりました。
 
国体において活躍中
国体において活躍中
最後になりますが、私は国体を通してさまざまな体験や、いろいろな人と出会うことができました。
また、東北の高校生の中で一番長くソフトボールができたことを本当にうれしく思います。このような経験ができたのは、顧問の先生をはじめ、先生方、先輩方、チームメイトなどの協力のおかげです。そして、たくさんの苦労をかけましたが、最後まで協力してくれた両親に感謝しています。ありがとうございました。
 
 

 

第5回 徳島での東日本大震災交流支援事業に参加

徳島で被災体験を語ってきました

NPO 法人賀川豊彦記念・鳴門友愛会東日本大震災交流支援事業
奥田健太(2年 住吉中出身) 熊谷爽佳(1 年 河南東中出身)

徳島へ行って得たもの

奥田健太(2年 住吉中出身)
私たちは、8月17日から19日にかけて、NPO法人・賀川豊彦・鳴門友愛会のみなさまからの温かいご支援を受け、徳島へ行ってきました。朝9時に仙台空港に現地集合しました。徳島へ行ったメンバーは全員飛行機に乗るのが初めてで、すごく楽しみでした。飛行機の中では窓の外の風景を楽しみました。仙台空港から伊丹空港まで飛行機で1時間、伊丹空港から鳴門まではバスで移動しました。空港まで鳴門友愛会の方々に迎えに来ていただきました。今回徳島へ行ったのは、宮城水産高校、志津川高校、石巻好文館高校の3校でした。バスの中では、鳴門友愛会の方が、徳島で有名な鳴門海峡の渦潮について説明をしてくださり、窓からの美しい自然の景色を楽しむことができました。徳島は、宮城よりも暑かったです。石巻と一緒で、海が多くてとてもきれいでした。
私たちの今回の目的は、昨年の3月11日に起こった東日本大震災での被災体験を、徳島の方々に伝え、交流してくることでした。テレビのニュースや新聞の記事からではわからない実体験を、できるだけ的確にわかりやすく伝えられるよう、私たちも出発する前から準備をしていました。18日の午後に日本赤十字の方や鳴門渦潮高校の方々の前で発表、場所はドイツ館という所でした。なお、徳島とドイツは昔から交流があったらしく、徳島にドイツ館が建てられるほど親交が盛んだったと、友愛会の方が説明してくれました。
発表は、宮城水産高校、志津川高校、好文館高校の順でした。好文館は最後の発表だったので、自分たちの前に発表する内容を言われてしまうのではないかと心配でした。好文館以外の他の2校はプロジェクターによる発表でした。被災直後の様子をカラーで画面に映し出したり、地図による説明だったりと様々でした。志津川高校の津波の様子を移した映像はすごく迫力がありました。そんな中、私たちは、写真や動画に頼らずに、話の内容を重視して、言葉による発表を選びました。時間は短いし動画や写真もないので、正直不安でしたが、他の2校に負けないくらいの発表ができたと思います。また、今回のプレゼンの場には、地元の高校を代表して鳴門渦潮高校という高校の生徒会の人たちがいました。その方々にも東日本大震災のような悲惨な出来事を繰り返してはいけないと思ってもらえたと思います。また、その後に向かった城東高校でも同じような話し合いをしました。
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なお、余談ではありますが、城東高校の校舎はまるでホテルのようにきれいな学校でした。その他にもおもてなしとして、城東高校の茶道部のみなさんに抹茶と和菓子(名前は失念してしまいました、黄色くてぷるぷるしたすっぱいもの)をいただきました。その上、邦楽部のみなさんに琴の演奏をしてもらうなど、とても良くしていただきました。いろいろなことがあった城東高校ですが、私が一番印象に残っているのは、城東高校の生徒会長さんです。彼はとても誠実な方で、人望もあつく、まるで絵に描いたような生徒会長でした。たった今、我が校の生徒会長である葛岡壮くんの姿が頭をよぎりましたが、彼と城東高校の会長さんは全く逆のタイプであると言えるでしょう。それでも、彼だからこそこの好文館高校を引っ張っていけているのだと再確認することができました。
余談がとても長くなってしまいましてすみません。その後も紆余曲折ありましたが、特にこれといった問題もなく、今回の「徳島の旅(命名・小野竜志)」を終えることができました。しかし、ただひとつだけ問題だったのは、帰りの飛行機で私と小野竜志くんが重度の乗り物酔いにあって生死の境をさまよったということでした。
最後になりますが、今回徳島へ行ったことによって得た経験を生かしていきたいと思います。

私たちの思いはみなさんの心に確かに届いていたと思います

熊谷爽佳( 1年石巻市立河南東中学校出身)
私は今回、生徒会のメンバー数名とともに、NPO法人賀川豊彦記念・鳴門友愛会のご支援のもと、8月17日から19日かけての3日間、徳島県に行ってきました。私たちの他に、志津川高校や宮城水産高校のJRCの方々も交流事業に参加しました。震災後、他県の方々や生徒のみなさんと交流する機会は何度かありましたが、自分自身が他県を訪問するのは初めてのことでした。準備の段階から期待と緊張で胸が高まる一方で、2泊3日という短い期間の中で私たちが伝えられることは何だろう、と少し不安になることもありました。そんな気持ちの中、訪れた徳島県で私は本当にたくさんのものに出会い、そして、多くを学ぶことができました。
 初日、朝早く仙台空港に集合し伊丹空港へと飛び立ちました。伊丹空港に到着した私たちをあたたかく出迎えてくれたのは、鳴門友愛会のみなさんでした。「遠いところからようお越しくださいました。早速移動しますのでバスに乗ってください」柔らかい笑顔でそう話してくださる方々のおかげで、心配も不安もすぐになくなり、今回参加して本当によかったなと思いました。バスに乗り、友愛会の方の案内を聞き、初めての地、そして綺麗な海と空に感動しながら観光した後、その日の宿泊先に泊まり初日を終えました。
 2日目、宿泊していたホテルをバスで出発し、鳴門市賀川記念館へ向かいました。そこで、徳島県出身で「友愛・互助・平和」を求めて闘った世界の偉人である賀川豊彦さんは協同組合運動の父であり、ボランティア活動の先駆者でもあったというお話をうかがったり、館内を見学したりしました。私たちの訪れた徳島県には歴史的にすごく活躍した方がいらっしゃったのだと知り驚いたのと同時に、震災後たくさんの方々がボランティア活動や支援をしてくださったのも賀川さんが始めてくれたからなのだと知って、感謝の気持ちでいっぱいになりました。
その後、日本赤十字徳島支社の方々からお話を聞き、赤十字社の活動や世界の現状を知ることができました。そして、市長さんと友愛会のみなさんをはじめとする地元の方々や鳴門渦潮高等学校の方々に、好文館高校、志津川高校、水産高校の被災の状況をそれぞれプレゼンテーションしました。他校のプレゼンでは私も知らなかったような現状を知り涙腺がゆるみましたが、必死に我慢ししっかりと目に焼き付けました。私たち好文館も、震災時の状況、そして、今私たちが何を頑張って生きているのか、聞いてくださるみなさんに伝わるようにと発表しました。このような宮城県の状況や私たちのことをたくさんの方々に聞いていただける機会を与えてもらって本当に嬉しかったです。
その後、私たちは徳島県立城東高等学校を訪れ、生徒会のみなさんと交流し、ここでも被災状況のプレゼンテーションをしました。真剣な目で私たちの話を聞いてくださる生徒のみなさんに、同じ高校生としてこれからもともに頑張っていきたいと強く思いました。
そして、最終日、この日まで本当にたくさんの方々から支援を受け、感謝の気持ちでいっぱいでした。
特に、鳴門友愛会のみなさんには、昼食やバス内での飲み物、帰りにはお土産までもいただき、最初から最後まで本当にお世話になりました。この日は阿波踊りや梨狩りなどをし、徳島の方々に別れを告げ、夜に宮城県へと帰ってきました。
徳島県での2泊3日、たくさんの方々と出会い触れあい、そしてたくさんのことを経験し学ぶことができました。徳島の方々に、私たちは、宮城のこと、石巻のこと、好文館高校のことを、どれだけ伝えることができたのかはわかりませんが、私たちの思いはみなさんの心に確かに届いていたと思います。
この貴重な経験を糧に、宮城県と石巻の復興、そして好文館高校の更なる発展に向けて、私自身できることをこれからまた頑張っていこうと思います。

第4回 写真甲子園に2年連続出場

本校写真部写真甲子園2年連続出場!第19 回全国高等学校写真選手権大会写真甲子園2012に参加して

全国8ブロックの代表18 校が写真の町東川町に集い、全校同一条件の下で撮影を行い、全国一を目指します。
代表校招聘期間 7 月23 日(月)~7 月29 日(日) 6 泊7 日
大 会 会 期 7 月24 日(火)~7 月27 日(金)
招 待 人 員 18 校 開会式・公開審査会・閉会式会場東川町農村環境改善センター計72 名
作戦会議本会場 B&G 海洋センター

滞 在 場 所 東川町キトウシ森林公園家族旅行村ケビン・東神楽町花神楽内コテージ

写真甲子園に出場して

佐藤敬志朗(2年石巻市立青葉中学校出身)

545 平成24 年の7 月25 日から3日間、北海道で開催された写真甲子園に出場して、たくさんの経験をすることができました。
 まず一つ目は、やはり写真についてです。写真甲子園では日本全国から予選を通過して選ばれた人達が出ているだけあって、普段、自分の身の回りでなかなか見られないような写真を撮る人がたくさんいました。これが同じ高校生の作品なのかと思うくらい、驚くほど素敵な写真ばかりでした。そして、審査員の方々に自分の撮った写真を評価していただくこともできました。普段はプロの方に見ていただく機会があまりないので、自分の写真がどのような評価をされるのか非常に緊張しましたが、写真のどこがいいところなのか、どこが悪いところなのか、とても細かく丁寧に教えていただきました。これらのことはとても勉強になりましたし、自分の写真の可能性を広げることができたのではないかと思います。
 二つ目は、ほかの地域の高校生との交流です。選手をはじめ、ボランティアで活動してくれた北海道の写真部の方々とわずかでしたがお話しできる時間がありました。とても気さくな方ばかりで、土地の方言で話したり、カメラについて語り合ったりして楽しい時間を過ごすことができました。中には昨年の3 月11 日の大震災について、当時の様子や、その後の生活などについて尋ねてくる方もいました。
震災について関心を持ってくれていることが嬉しく、自分の話せる範囲で話しました。反対に私も震災についてもう一度考えてみることができました。このようなこともあって、ほかの地域の人たちと交流できたことがとてもありがたく感じました。
 三つ目は、東川町の方々とのふれあいです。写真を撮る時に被写体となる人に撮影をお願いすることがあるのですが、断られることも少なくはありません。しかし、写真甲子園3 日目ファイナルの舞台となった東川町の方々は、撮影のお願いをすると仕事を割いてまで撮影に協力してくれました。写真甲子園の町だからということもあるのかもしれませんが、たとえそうだとしてもとても嬉しかったです。特に、ホームステイでお世話になった米田さんご夫妻にはとても親切にしていただきました。ホームステイ中は何から何まで気を遣っていただきましたし、写真甲子園が終わったあともいろいろな所を案内してくれました。感謝の気持ちは言い尽くせません。偶然にも米田さんは、私と同じ大の釣り好きでした。北海道での釣りの話をしてくれたり、お手製の釣り道具を見せてくれたり、それは私にとって夢のような時間でした。

 写真甲子園はハードなところもたくさんありましたが、こうして振り返ってみるとすべてが自分の今後の糧になったのではないかと思います。本当に貴重な経験ができました。
最後に、写真甲子園でお世話になったみなさん、ありがとうございました。